北京五日目の朝。
結局、待っていた書類は来なかった。
留学のための必要書類を待つため、その日イーと別れることに。
ちなみに、この日の朝オレがちょっとというか結構な粗相をやらかしてしまい、イーは相当不機嫌だった。
何をしたかは書かないが、完全な不可抗力で、しかしそうは言えどもひどいことをしたので、どうしていいかわからなかった。
ま、それも直ぐに、普通の状態に戻ったので大丈夫だったのだけれども。
過ぎ去る時間はあっという間。光陰矢の如し。
「送るよ」
イーはいった。送るって言っても、駅まではバスに乗って三十分くらいかかる。そんなところまで送らなくてもいいのに。
なので断る。
「送るよ」
彼女は頑なだった。
ここでオレは勘違いしていたのだが、彼女が言うのは、近所のバス停まで見送るという意味だったが、オレは駅までついてくると勘違いしていた。
二人でバス停に歩き、バスを待つ。
バスはすぐさま来た。
ここでお別れか。四日前は何人かのスペイン人・・・そして、一人のロシア人、ドイツ人とお別れをした。
またここでもだ。
仕方がない。オレは日本に帰り、他の人々もそれぞれの国に帰るのだ。
しかしこの時、オレは、イーが駅までついてくるものと思っていたから、特段気の利いた言葉をいう事もなくバスに乗り込む。
あれ、イーは・・・・?
ここで気づく。見送りとはバス停のことか!
「ばいばい、絵葉書送ってね」
「うん、ばいばい」
余りにもあっさりと、イーとは別れた。
以来会っていない。当然だ。オレは日本にいて彼女はスペインに留学したのだから。
もっともネットが蔓延る現代だから、時々連絡は取っているものの。
○ホテル探し
先ずは空港から近い場所へ降り立ち、目当てのホテルへ行く。
ユースホステルだ。
お金がない。安いホテルでよかった。
行ってみたが、予約してないなら、もう埋まってるといわれ断られた。その近くのホテルを探すも、300元。
日本円にして3600円くらいだ。高くはないが、100元くらいで泊まれると来ないかな、と思う。
金がないのだ。
で、何軒か回ったが、300元が相場のようだった。100元くらいでないかな・・・あるはずなんだけどな・・・・
探しながら、疲れ果て、昼ご飯を食べる。
牛肉の乗った麺と、小籠包。
安かった。多分20元もしなかったと思う。
そしてホテル探し。歩き回るが安いところは見つからない。アクセスいい場所だから、高いのかな・・・
結局ネットで探した。
220元くらいのホテルを見つけ、そこにチェックイン。
荷物を置いて、平安門へと向かう。
○三度目の毛沢東。
何故平安門かというと、前回最初に故宮に行って行けなかった場所があり、そこへ行くためだ。二日目行ったのは、多分中山公園で、今回行ったのは北海公園だったのだと思う。
あと一つ、なんちゃら公園に行ったが名前を失念した。
イーが居ない旅路は、なんだかさみしかった。どこか空しかった。
スペイン人のオネや、ハビエルとももう会えない。マリアやアナ、ディアナ、マリア
皆と会えなくなった。
そして、今やイーとも会えない。三日後には、ルームメイトの韓国人テヨンや、一緒に香港に行く予定のサミエル、クラスメイトのサリン皆と会えなくなる。
当たり前の事だが、その事実が重くのしかかる。
三度目の毛沢東の肖像画に対面しながら、感慨深さと寂寥感に襲われていた。
二つの公園へ行き、歩いて回るが上の空だった。
○北京での最後の夕食
北京に着たら北京ダック食べるべきだろ。
そうは思うものの、結局食べなかった。
ホテルの近くには露店のような店しかなかった。唯一店を構えているところに入ったものの、そこは閑古鳥が鳴いているかのような人の居なさ。店員が三人。客ゼロ。かなり広いのに、客ゼロ。
逆に露店は活気にあふれていた。
もう一つの選択肢として、コンビニがあったから、そこで適当に買って、ホテルで食べる。
まあ、さすがにそれはないか。
で、前述のように、店に入った。いろいろやってるようで、自分は丼ものを頼んだ。丼ものというか、ビビンバみたいなやつ。
そしてビールを一本注文し、もしかしたら日本だったかもしれないが、注文しそれをのむ。
「ぬるいのしかないけど大丈夫?」みたいなこと聞かれたが、最初何を聞いているかわからなかった。
何度かのやり取りの内に理解した。
中国では、普通ビールを冷やさない。ぬるいまま飲む。むろん冬であれば冷えているが、夏場はぬるいビールだ。
それをのむ。
一人寂しくビールを飲みながら、ホテルへ帰った。ほんとは夜の街をぶらぶらと歩いてみたい気もしたのだが、やはり外国で不案内な場所は危ないだろうし、疲れていたのもあってホテルへ帰った。
そして寝た。
○空港、そして広州へ。別かれは再び。
空港へ行く。問題はほとんどなかった。乗り場を勘違いしていたものの、早い時間だったので、問題なかった。
空港での待ち時間の間、クラスメイトで、ヨルダン人のサリンとショートメッセージのやり取りをしていた。
その日がサリンの帰国日だった。同じくヨルダン人のリーンも、帰国する。
その日の夜に広州の国際空港から出立するそうだ。
何とか見送りに行けないものかなと考えていた。
しかし、オレが広州の国際空港に付くのは昼過ぎくらいだった。だから大学で見送りしようと思った。広州からバスに乗り込み、中山大学珠海キャンパスへと向かう。
だがバスに乗った時点で、間に合うか間に合わないかの瀬戸際だった。
「ごめん、間に合わないかも」
「いいよ、気にしないで。一年間ありがとう」
「うん、こちらこそ。リーンにも伝えてて」
「わかった」
会えずに別れてしまうのか?
そう思うとひどく悲しかった。せめて見送りたかった。
サリンは優しい学生だった。前期は仲良しだったリタが居たが、後期はどういうわけかリタは来ておらず、クラスでさみしそうだった。
確か20歳か19歳で若く、しかし英語は堪能だった。努力家でもあった。
バスは大学へ近づいていくが、近づけば近づくたびに、ああ、これは間に合わないな、という確信があった。
バスは大学に到着した。もうサリンが出発している時間だった。全然間に合わない。間に合わない。
北京六日間の旅、実質は四日間くらいかな。
旅行は楽しかった。しかし、留学期間の終わりで、皆との別れはかなりつらかった。
<中国での思い出、北京旅行・終わり>
留学での思い出話
中国での思い出、北京旅行1
中国での思い出、北京旅行2
中国での思い出、北京旅行3
中国での思い出、北京旅行4
中国での思い出、北京旅行5
香港と香港空港での思い出話
ラベル:北京