中国での生活も残り短くなったある日。
スペイン人はパーティーが好きだ。ルームメートやクラスメイトが多かったおかげで、彼らと仲良くなり、週末になれば、酒を飲むか、ディスコに行くか、みたいな生活をおくっていた。
そう言った関係で知り合った中国人も多かった。
そんな中に一人の女の子が居た。可愛らしい女の子だ。
彼女はスペイン語を勉強している関係で、スペイン人と仲が良かった(そのうち一人と特に仲が良かった)
そう言った経由で何度か会い連絡先も交換していた。
で、帰国がまぢかに迫ったある日、「日本に帰る前旅行に行かないの?」と訊かれた。
芸さんというのだが、日本語の発音では何とも可愛らしくないので中国語の発音イーとする。
「行きたい。けどまだ決めてない、香港は確実に行くけど」
「ふーん、北京はどう?」
「ああ、いいね。行ってみたい」
「じゃ一緒に行かない? 夏休み、北京に行くの。親戚のところ行くのと留学の手続で」
「え?」
「まあ考えといてよ」
「あ、うん」
北京か・・・北京にはいってみたかった。
案内人が居るのは心強い。
どうしよっかなーみたいなことを考えていた。女の子と二人でだと、変な下心があるかもしれないとか思われるかもしれないしな……日本だったらそう思うでしょ。
あれ、もしかして誘われてる?
男だったら気安く返事できるのに。
そんなヘタレ思考全開で、悩んでいた。
しかし、そもそもロシア人の友人(男)に旅行行こうぜって話をしてたから、そいつも誘えばいいんや!と思って、誘った。
「OK、いくいく」
そいつは二つ返事でOKした。
てことで、イーを食事に誘い(といっても大学内の学食)その話をすることに。
化粧をしてない状態であったので、最初イーとは分からなかった。
とりあえず食堂に入り一緒にご飯を食べる。
自分の留学先は、超優秀な大学だった。
俺はFランやDランなんてランクの大学だから、正直劣等感を抱きながら留学生活していた。辛かった。
それはさておき、優秀な大学であるためか、ファッションや外見に無頓着な学生が多く感じる。美男子美女もいるが、極めて少数に思えた。
そんな中でイーは比較的可愛い女性だった。
「俺、北京行こうと思う」
「え、北京!?私も北京行くよ。一緒行こう」
あれ・・・・???
この間いーがオレを誘わなかったっけ??あの話もう忘れたの??
よくわからないが、彼女の中で俺を北京に誘った話はなかったことになっていた。
「え、うん・・・」
「私の親戚が北京にいるんだ」
知ってる。
「スペインに留学する手続きで北京に行かなきゃいけないの」
知ってる。
「本籍がこっちにないから、北京で手続きしなきゃいけないのよ。他の友達はみんなこっちで手続きしてるのに!」
知ってる。
まあそんなこんなあったものの、オレはこのイーとロシア人サミエルと3人で北京へ行くことにした。
○鉄道チケットが取れない。そしてサミエル・・・・
さて北京行は決めたものの鉄道チケットがとれない。
てかない。取り方もいまいち分かりにくい。どうすれば。。。
北京までは20時間近く鉄道を使えばかかる。飛行機という手もあるが、安く済ませたい。
イーにお願いすると、「任せろ」とのこと。頼もしい。
で、どうも大学内にある郵便局がそういった手配をしてくれるそうな(手数料がかかるが)
さっそくお願いすることに。
しかし・・・寝台のは空いてないそうで、椅子しか取れなかった。しょうがないのでそうすることに。ついでにサミエルの分を手配しよう。そう思った。しかし・・・
「サミエル、北京行きの鉄道チケット今とってるんだけど、ついでにお前のもとるぜ?」
「あ、だめ」
「え?」
「やっぱなし。行けなくなった」
「えええ?なんで・・・」
「お金がない」
「まじかよ」
「まじだ」
オレは北京旅行に行くために、日本から送金までしてもらったというのに。。。(送金についてもエピs-度があるのだが、それはまた機会があるときにでも)
まあ仕方がない。行けなくなったのは仕方がない。
○byebye広州
北京に行く直前、広州鉄道で、イーとは待ち合わせしていた。
ただし、オレはその日HSK3級と4級の試験があり、前日からすでに広州入りしていた。
その試験会場へは、スペイン人と一緒にいったのだけれども、そのうちの大半とはそれが最後のお別れだった。
オレは北京旅行に行くし、彼らはベトナム(だったかな?)へ旅行に行く。皆、中国留学の最後の旅行だ。
そしてオレはスペイン人が中国の宿舎に帰ってくるのを迎えることなく、日本へ帰る予定だったからだ。
ああ、これがおそらく今生の別れか、と思うとひどく悲しかった。
スペイン人とは仲良くなったし、ルームメイトもいるのだ。このうち一人を除いては、もう会えない。(一人は旅行に行かないので、オレが北京から帰ってきたらあう機会があるかもしれない)
まあそんなこんなで別れを惜しみつつ、試験が終わった俺は、広州鉄道へと向かった(試験の話もいろいろあるので、後日記事にしよう)
ちなみに時期は2012年6月終わり。反日感情は特に高まっていない時期だったのでよかった。
広州鉄道につくもイーの姿は見当たらない。当然だ。なにせ・・・・・
人人人
人の大群がそこにはひしめき合っている。
電話でイーとコンタクトをとる。かなり時間がかかったが合流は出来た。安心したのもつかの間、イーとオレは車両が違う。
イーは寝台の車両。
オレは座席だ。そして地獄の始まりだった。
○鉄道の中の地獄
人がひしめき合っていた。としか表現できなかった。
人人人。電車の中も人でいっぱいなのである。
自分の座席を探す。あった。でも人が座っていた。アレ??
「あのーあなたの席ナンバーは何ですか?」
オレは座席ナンバーが書かれたチケットを見せながら、訊いた。
するとその人は、すぐにどく。
間違いとかではなく、単に人が居なかったから座っただけのようだった。
後で知ったことだが、チケットは三種類あって、一つが寝台、もう一つが座席(この座席にもグレードがあることがある)、そしてそのいずれでもないどれかだ。何れでもないってことはつまり、席がないってことだ。
え? オレはびっくりした。中国人が、たくさんの中国人が通路などに座り込んでいる。北京まで20時間近くある。それをこいつらそうやって過ごすのか?
戦慄を感じた。
周りは中国人ばっかり。オレは不安にさいなまれた。トイレで席を立とうもんならすかさずその席は取られる。もっとも戻ってくれば、ちゃんとどいてくれるが。
そんな中、おれは持ってきたGalaxy tabで動画を見たり(事前にダウンロードして入れてた)小説を読んだりして時間をつぶしていた。
広州を出たのが、3時とか4時くらいだったと思う。
夕方になりイーから「ご飯食べよう」とショートメッセージが来る。
車内に一応食堂がある。そこで合流し、ご飯を食べた。
ご飯は残念ながら、おいしいとは言えなかった。そりゃ列車の中だからおいしいもの食べれるわけではないが、日本以上にこういう場所でお金をとってくる。
また、お菓子やカップ麺の販売もしているが、やはり高い。
食堂で雑談しながら、夜になったので、自分の座席に戻り寝ることにした。
正直地獄だった。たいして柔らかくない椅子の上。一時間おきくらいに目が覚めた気がする。
朝が来たが、とても寝た気にはなれなかった。
朝、イーとメッセージをやり取りしていると、こっちの寝台に来ない?疲れてるなら寝ればいいよ、と言われた。正直心細いし、行きたかった。二つ返事でOKをする。
ところが、車両の扉が閉まっていていけない。意味が解からなかった。移動できない。
なんで?
屈強そうなガードマンが立っている。
訊いてみると、「あんたのチケットは、座席のだろう。寝台席には行けないよ」みたいなこと言われた。
「いや、友達が」
「だめだ」
・・・取り付く島もなし。
しょうがなくSOSをイーに送り、扉の前で待つ。しかしよくよく考えてみればこの措置は当たり前だった。
座席なしの客が居るのだから、扉行き来自由にすると、彼らはスペースのある寝台にも行ってしまう。高い金を払ってる寝台客が不満に思う、っていう事なんだろう。
その逆は可能のようで、寝台の客と思しき人々はこっち側に来たり、こっち側から出て行ったり、あるいはおそらく友人や恋人、家族などを連れ出していたりしていた。
つまり寝台のチケット持った人に頼めば、出してもらえる!
イーよ早く来てくれ!!!オレは願った。
結果から言えば、イーのおかげでオレは地獄から脱出できた。
寝台ってどんなんだろう・・・・ワクワク。
寝台列車なんて乗ったことない俺は、非常に高揚していた。
しかし・・・・
寝台スペースは非常に狭いものだった。小さな部屋に三段ベットが三つ敷き詰めてある。ベットは狭い。本当に狭い。
小柄な男性が足を延ばすことができる程度の大きさだ。
こんなに狭いのか・・・と思いながら、お邪魔した。狭すぎて、オレお邪魔してよかったのか、と疑問に思った。
「朝ご飯何食べる? これあるけど」
「わー!ありがとう」
イーから渡されたのは缶詰。だった。
御粥の缶詰だ。でもとても甘くて残念ながら全部は食べられなかった。
缶を開けるときもひと騒動有、オレが缶を開けるプルタブでうまく開けられず、穴が開く程度しかあかなかったのだ。
先のとがったもので、てこの原理を使い開けようとするもだめ。そんなこんなで騒いでるうちに、迎いのベットの人が「オレにかしてみろ」みたいな感じで開けようとする。も結局ダメ。
結局イーが持ってた、フォークで、こじ開けた。
「私スペイン語の勉強するから、寝てれば?」
イーは優しくそう言い、俺もつかれていたのでお言葉に甘えて寝た。
昼ご飯は車内で売っていた弁当を食べた。
駅弁だ。でも日本の駅弁のような豪華さはない。高いうえにまずい。
イーはカップ麺を食べた。
そんなこんなで、地獄のような20時間を終えた。正直イーが居なければ、俺の心は折れていた。一人で乗るものではない。
ともあれ、北京に付いた。待望の北京だ!(続く)
留学での思い出話
中国での思い出、北京旅行1
中国での思い出、北京旅行2
中国での思い出、北京旅行3
中国での思い出、北京旅行4
中国での思い出、北京旅行5
香港と香港空港での思い出話