中国から帰国の一週間ほど前の話。
珠海キャンパスからバスに乗り込み、広州へと向かう。
スペイン人のハビエル、マリア、ディアナ、アナ、マリナ、ジョニーそしてオレ7人でだ。
本当はロシア人のサミエルも一緒に行く予定だったが、急遽変更になった。
目的はHSK受験のためだ。HSKは漢語水平試験(hayu shuipin kaoshi)の事だ。
英語のトイックやトフルみたいなものだ。
日本では中国語検定が有名だが、あれはあくまでも日本独自のもので、中国ではあまり有名ではない。
オレはこのHSK3級と4級を受験することとなっていた。他のスペイン人たちは、2級と3級を受験するようだった。
6月18日に広州へいき、6月19日朝と昼に二つ受験する予定で、他のスペイン人たちも同じだった。
あと一人スペイン人が居たが、彼は3級だけを受け、昼に来ればいいだけなので、前日入りしなくてもいい。
ともかく、7人はバスに乗って広州を目指す。
広州に到着し、広州にある大学へ向かった。私たちの留学先は、いくつかのキャンパスを持っている。
大学では、試験の必要なものを印刷する。
ところがここで、アクシデント。
受験票が送られてくるので、それを印刷するのだがアナとディアナの写真が入れ替わっていたのだ。
まあ、そこは問い合わせて何とかなったようだ。
そんなやり取りの間、前の学期の中国語先生だった人からメッセージが届く。ありがたかった。
次は宿だ。
スペイン人のディアナが、宿をとってくれていたようだった。安宿というかドミトリーみたいな感じ。ユースホステル。
もういくらお金を払ったかわからないが、一泊100元だったか、50元だったか。そのくらい。その代り、7人皆一緒の部屋だ。
女の子もいるわけだが、日本だったらそういう場合一緒の部屋はあり得ないだろうか、ヨーロッパの人々はそういった点別段気にしないようだ。
以前、彼らが日本旅行に行くとき、宿をネット上で探していた。ルームメイトだったハビエルが「なんで、宿取るとき男か女か聞かれるのか?」と質問されたこともあった。
大きな部屋に、二段ベットが四つあって、それぞれがめいめいの場所を確保した。
それから夜ご飯を食べに行くことになった。
ぶらぶら歩いていくが、なかなかいい店に当たらない。パスタとかピザみたいなものが食べたい。皆そんなテンションだった。が、見つからない。
仕方ないので、普通の食堂みたいなところへ入る。
そこで適当に注文。
女の子たちは、嫌だったらしく、店を探しているようだった。
そこでご飯を食べる。
女の子たちは店を探しきれなかったようで、結局その店を出た後マックへ行った。
マックで、高校生くらいの人々だろうか、何かカードゲームの様なもので遊んでいた。何のカードゲームかまでは分からなかった。
そんなものに興味を示していたら、情熱の国スペインの方々に笑われるかなと思って、特段気にしていなかった(本当はちょっと気になっていた、昔遊戯王とかマジックとかやってたし)。
そしたらスペイン人ジョニーが気にしているようだった。
「あれ、何のカードゲームだろうね。昔やってたからね、気になる。知ってるマジック」
「あ、知ってる」
「ちょっと見てくる! ・・・・・・うーん、違うっぽい」
ジョニーは一眼レフのごついカメラを持っている、英語に堪能で、まじめな男だ。
ちょっと意外であったり、しかしやっぱりそうか、と思ったり。
まあともかくマックで談笑し、女の子たちはご飯を食べ、ほどほどにして宿に戻る。
宿に戻った後、歯ブラシと、髭剃りを忘れたのに気付く。1日くらいだったらどうでもいいと思うが、その後は北京旅行へ行く予定だったので、仕方なくコンビニへ買いに走った。
ドミトリーは陽気な雰囲気に包まれていた。もし明日が試験でなければ、そこの宿泊客と一緒に、酒を飲むのだろう。実際誘われたし。でも、寝ることにした。明日は早くから試験だ。
「着替えるから見ないでね」
みたいなやり取りは、あった。
○試験当日
朝。結構早く目が覚めた。というより、最後の確認のためだ。
試験問題を持ってきていたので、それを解く。
答え合わせをする。
問題はなさそうだ。合格できるだろう。手ごたえを感じていた。
HSKは1級から6級存在する(最近変わった。昔は1〜12級だった)
1級が一番簡単で、6級が一番難しい。
3級4級はつまり、真ん中ラインってことだ。
ただこのHSK、日本人にとってみればさほど難しくない。
中国語検定のほうがはるかに難しい。
そのため、勉強のクラスが一緒のスペイン人たちは2級や3級だし、クラスが一つや二つ上の留学生も4級を受けたりする。
やはり中国語を勉強するうえで漢字を知っているというアドヴァンテージは大きい。
宿から会場へ行く。
会場ではほかにも見知った人々が居た。
一緒に4級を受ける、ロシア人(名前を失念した・・・)やドイツ人のモー。
ここでちょっと面食らう。
てっきりペパーでの試験と思っていたら、パソコンで受験するようだった。まじか―と思いながら、席に座る。しかし隣の人との距離が近くて楽勝でカンニングできるなーとか思っていた。
ちなみに、オレは朝4級を受け、昼3級を受ける。難しい方が先なので、嫌だったが仕方がない。
試験開始・・・・・
パソコンで慣れてないので、最初はかなり戸惑った。
例えば問題の例文が読まれている間、他の問題が見れない。
紙での試験だったら、勝手に自分で進めるが、パソコンの試験は、パソコンが作り出すペースに合わせなければならず、非情に戸惑った。
見返しなどもやりにくい。
HSKの試験は、聴解に読解、そして作文と三つに分かれている。
このうち作文は、漢字を書く必要があるのだが、パソコンでの回答のため、ピンインさえ知っていれば、変換機能でお目当ての漢字を探し当てられる。
漢字自体は難しくないので、日本人にとってはさしてありがたくないが、非漢字圏の国にとってはありがたい仕様だろう。
特に2級の問題は、
wo shi zhong guo ren
我是中国( ).
のようになっていて、文章に合う漢字をピンインに沿って書く形になっている。
ピンインというのは、日本語の読み仮名のような立ち位置だ。
ローマ字だからローマ文字圏の人々にはとっつきやすい。しかし漢字はやはり難しく感じるようだ。
所がパソコンだから、関係なし。ていうか、このrenをそのままキーボードに打ち込んで、変換候補から記憶にありそうなのを選べばいい。難しくない。
分からなくとも、全文を打ち込んで予測変換で候補が出る場合もあるし。
いってしまえば、かなりいい加減なのだ。
さて4級受験中にびっくりしたことが起きた。
朝説いた問題集と全く同じ文章が出てきた。
問題集が読解のところだが、試験当日は作文で出たみたいな感じだったので、答え方が全く同じとはいかないが、それでも全く同じ文章なので、笑ってしまった。
こんなこともあるんだな、と思った。
いい加減だからなのか、本当にたまたま偶然なのかはわからないが。
ともかくそんなこんなで4級は終わる。合格できる自信はあった。ぶっちゃけ3級受ける必要なかったな、と思った。
ちなみに300点満点の180点取ればいい。楽勝かなと思った。
試験が終わる。
スペイン人たちは、一緒に受験し開始時間が同じだったものの、2級の試験のため、そっちが早く終わった。
なので、オレは一緒に4級を受験したスペイン人の女の子と、ドイツ人モーとご飯を食べることに。
オレはせっかく中国にいるし、中国らしいもの食べたいなと思っていたが、マックへ行くことになった。お前らマック好きだな・・・
昼ご飯を食べ終わり、オレは試験会場へ戻る。3級の試験を受けるためだ。
二人は大学へ帰るようだった。
試験会場で、スペイン人たちと合流。ロシア人のサミエルも来ていた。また、もう一人のスペイン人オネも。
しばし談笑する。試験が始まるため、列に並ぶ。そこで日本人にもあった。
親子で来ていたが、小さな女の子が、多分小学4年、5年くらいの子が受験するそうだ。1級だけど。
少しだけ話す。試験の時、オレやスペイン人たちは、部屋に入りきらなかったため、待合室で受けることになった。そこにもパソコンが置かれていたのだ。
でいざ試験が始まろうとしていたが、直前あたりで、日本人が遅れてやってきた。
その人は社会人で、中国では会社の用事で来てるそうだ。出張という事だ。
中国にいる機会じゃないと、勉強もはかどらないし・・という事で受けたらしい。ちなみに3級を受けていた。
試験は簡単に終わった。4級に自信があるオレにとっては、3級は簡単だった。
ともかく試験が終わり、外へと出る。皆の帰りを待つ。
他のスペイン人やロシア人たちも試験が終わる。
そこでお別れだった。オレは北京へ旅行へ行く。
そしてみんなも各々、旅行へ行く。ロシア人のサミエル以外とはお別れだ。今生の別れと言わないまでも、再び会うことは困難だろう。
別れの挨拶をしたり、いろいろプレゼントをもらったり。
スペインの国旗をもらった。その国旗に、皆がメッセージを書いてくれた。
皆とハクやキスをし、記念写真を撮り、そしてさよなら。
慌ただしい別れで、非常に寂しかった。今から北京旅行に行くというのに、塞ぎこむようなどんよりとした気持ちでいっぱいだった。広州の煤けた空と同じ色をしていた。
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広州での思い出、帰国一週間前とHSK
中国での思い出、北京旅行1
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中国での思い出、北京旅行4
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