2013年01月11日

梨木 香歩『西の魔女が死んだ』



よみおわりました。西の魔女が死んだ。ずっと気になっていて読めなかった本、ついに読みました。
PDFではないです。久々に紙の本を読みました。

この小説、読んでいるあいだじゅう、胸を締め付けられるようなせつなさにおそわれてしまいました。
とても不思議です。なぜでしょう。

小説の内容を語ってしまうのは無粋な感じがしますので、ここでは語りません。本当になんというか、切ない、小説です。
面白いといえば、面白い。読みやすいし、そして切ない。
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2012年10月06日

女は悪魔と思ってやまない堅物主人公と、その主人公に恋をした令嬢のはなし



尾崎紅葉の「此のぬし」という話です。
主人公小野俊橘(おのしゅんきつ)は25歳の大学生。
貧乏で両親を幼きよりなくした苦学生。あばら屋のような小屋に、お手伝いの婆さんと弟と三人で住んでいる。
25は男盛なるに、色めかしき姿は微塵も見えず、質素に歩み、質素に語り、質素に食ら、質素に衣、質素に思い……

と形容されている。友達が色恋話をしている横で、全く興味を示さず、女がいては大成もできぬという考え。それどころか
真に恐るるべきは女人といへる化物なり。

という始末。

さてそんな俊橘に恋をしたのが、そのとなりに住む令嬢、龍子。美しき外見を持ち、成績優秀。
どうやって意中の男性を射止めようかと思うに、俊橘の弟を利用する。

そしてその恋の結末は・・・・


かなり壮絶です。
今だったらご都合主義と揶揄されたかもしれませんが・・・
ともかく主人公の女嫌いっぷりが凄い。2chとかで時々「女って絶対男より劣ってるよな」みたいなスレ住人の方みたいな思想の持ち主です。まあ劣っているというより、女は化物、うつつを抜かしたら出世もできない、貧乏畜生になってしまう。みたいな感じでしょうか。

100年以上昔の小説なので、読みにくいですが、結構面白いです。主人公の女嫌いの描写やセリフは、実に圧巻。読みながら、ここまで毛嫌いしなくていいのに・・・と思ってしまいます。
逆に恋する乙女龍子にたいしても「ナンデこんな男を好きになるんだよ」って感じ。

青空文庫などにはないので気軽には読めませんが。。。
全集は高いですし・・・明治文学全集が手頃でしょうか。。。青空文庫に来ないかなこの話。



ラベル:尾崎紅葉
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2012年02月19日

万城目学『鴨川ホルモー』



万城目学『鴨川ホルモー』を了読致しました。
これは電子書籍ではなく、紙媒体です。

本当は、裁断して電子書籍化して読みたかったんだけどね(中国に持って行きたくなかったから、荷物減らすため)
あと伊勢物語の単行本を購入したんだけど、家においてきてしまったww
せっかく買ったのに・・・伊勢物語自体はテキストデータを持ってるので読めるんだけど、訳や解説なしだと骨が折れる。。。


さて鴨川ホルモーですが、面白かったです。ええ、素直に。ただ登場人物の描写があまりにも簡素と言うかそんな感じがしました。と言うより、うまく書ききれてない感じ。
まあ主要キャラクターだけ書けばいいのでしょうけど、クラブチームが10人いて、その内、2人ほどはほぼ名前だけ。途中でチームが割れて、主人公側につく兄弟ふたりについても、すごく描写が足りなくて、主人公側に着いたあたりで、ようやくちょっとづつ描写が加えられるという感じ。描写が足りないと言うか、あっさりしすぎて。

クラブの先輩についても唯一スガ氏だけが、細かに描写され、あとの先輩は名前すら出てこない。確かに不要なのはわかるが、描写できないなら、ホルモーのメンバーが10人である必要があったのかなぁ、と。5人に絞っても良かったんじゃないかな。。。と。あの17条の話も、いくらでも変えられそうだし。

結局主人公とその友人高村と、早良、スガその四人に話しが絞られ進まれていって、ライバルであるはずの芦屋も、なんというか薄い描写。主人公がはじめに、ソリが合わない、の一言で片付けたが、そのエピソードなどがもっとあっても良かったのでは。


まあでも面白かったです。続編あるみたいだし読みたい。そして、彼の作品も読んでみたい。
中国にいるので入手が難しいですが。ただPDFスキャン代行サービスを使えばそんな事もなかったり。お金がかかるけどね。















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2011年02月11日

日本語はなぜ変化するか―母語としての日本語の歴史/小松英雄



今回も携帯電話とは無関係の話。
ほんの紹介です。私の大好きな本です。


学問においては、こと科学という分野においては抽象的な定義づけの曖昧な言葉で現象が理解されるべきではない(というよりも理解されない)

私は学問に貧しい人間だが、理系ならば数値・原理・現象が重要視されるのかな?数値?


最近読んだ本で面白いのが、小松英雄(1999)『日本語は何故変化するか』笠間書院

日本語が言語である以上、変化はする。
その理由は何故なのか・・・・それをたどっていく。こう言うと語弊があるかもしれないのでいいなおす。

・言語は変化する。
・それは様々な要因が考えられる。
・言語には言語ごとのシステムが存在する。
・言語ごとに存在するシステムの中で、言語はバランスを取りつつ変化していく。
・そのシステムの変化の方略はなんなのか。
・こと日本語においてはどうなのか、というのを探っていく。

もちろん、運用上の問題、つまり言語の本質である情報伝達という面において利便を図るようにするために言語は変化する、という前提の上でだ。
つまり、言語は情報伝達の利便のため変化するが、日本語という言語体系のシステムの中でどのように言語が利便性を獲得していくか、というのを模索して言っている。


それを小松英雄は、「ら」ぬき言葉を使って、その一つの在り方を提示している。
言語学として時々、ちゃんとした考証を踏まえていない記述がみられるが、本人自身が一般向けのためにそうした、と述べているので、一般の人が読んでもわかるようにできている。
といっても一読しただけでは無理かもしれないが。
それでも最初の方は、すごくわかりやすい。うまり現代国語文法に対する痛烈な批判である。


ここには書ききれない・・・・何を書けばいいのか・・・ともかく読んでほしい。

ら抜き言葉、そして敬語を取り扱っている。

「日本語の乱れ」は存在するのだろうか。それは彼の立場からすれば、というより言語学の立場からすれば存在しない。ただ変化しているだけ。そして変化を阻害しようとしている存在が、日本語の乱れ」を訴える老人たちだ。古き人。
もっとも急速な言語変化は世代間の断絶を生むので、古い人老人たちも抑止力となり言語のバランスを整える要となっていると述べている。

それから日本語は美しいだとか、日本語は敬語を持っているから礼節正しい民族性を持っている、とかそれらをすべて明快に否定している。私も当然そう思う(ましてや日本語が最も特殊な言語とか、もっとも優れている言語とははありえない。その逆もしかり。むろん、美しい言語などではない。日本語も美しい、であるならば許容されるのであろうが)

そもそも現代日本語(そして平安時代の日本語)の敬語には敬意が存在するのか。百歩譲って経緯が存在するとして、ではその敬意とやらが、敬語の特質か?
全て否だ。
敬語の特質は敬意ではない。本質とも言っていい。


@敬語が発達したのは、宮中のような閉じた社会であった。
そのため、一般社会に敬語は浸透していなかった。

A残されているテキストは宮中のものだけだからである。そのため、敬語が発達しているように見えても、一般社会では未発達だ(下々のものは、官僚たちに会えない。ましては天皇などに会えるはずもない)。残されているテキストだけで、日本語のすべてを語ったようになるのは危険。ましてや、書記言語は常に口頭語と一致しない。

B前述と同じことだが、書記言語と口頭語は一致しない。言文一致運動後もだ。つまり現代もだ。

C平安時代、人称や代名詞が未発達であった。だれがだれにを言い表すことができなかった。そのため敬語を持って動作主や被動作主を言い表した。そして閉じられた宮中での話では、全ての人間の身分が高い。敬語の段階化が必要であった。絶対敬語など言われている類はその典型。天皇に対する敬語が確立される(絶対敬語という用語は的を射ないと、本書では述べられていた)

Dつまり敬語は、動作主被動作主を識別するために生まれた(そのため敬語という用語が不適切)

E現代語においても敬語は敬意を含意するわけではない。(たとえば、同じ先生という身分であっても、たいしてしたしくない間柄であれば「××先生も明日、いらっしゃいます?」と使う。敬意は含まれていない、英語のポライトネス概念の説明の方がわかりやすい)

Fだいたい謙譲と尊敬と丁寧の何が違うのか。謙譲と尊敬は、丁寧を含意しないのか?
相手を上にあげる「尊敬」と自分を下げる「謙譲」は結局同じでは?


ああーーまだたくさんありが、書いても意味がないだろうし、説明するのは私の足りない頭では無理だ・・・・
ともかくおもしろい!古典が嫌いだった人にこそ読んでほしい一冊。さすれば、今までの古典という科目が、なおさら嫌いになり、新たな視点で古典をとらえられるだろうし「美しい日本語」なんてまゆつばてきな学説に踊らされることもないだろう。


いやまあ母語なんだから、美しいと感じるのは間違いではない。問題は「(主観であるにもかかわらず)ほかの言語と比べて最も美しいのが日本語だ」、と言い切ること。
そしてその考えがまかり通ること。真実ではない。


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2011年02月06日

ことばと思考/今井むつみ



今井むつみ(2011)『ことばと思考』岩波新書
私たちは、ことばを通して世界を見たり、ものごとを考えたりする。では、異なる言語を話す日本人と外国人では、認識や思考のあり方は異なるのだろうか。「前・後・左・右」のない言語の位置表現、ことばの獲得が子どもの思考に与える影響など、興味深い調査・実験の成果をふんだんに紹介しながら、認知心理学の立場から語る。(紹介はアマゾンより引用)


デジタルデバイスと全く関係ない話ですが、最近読んだ面白い本を紹介します。


ことばと思考の関係・・・


世界にはさまざまな言語があります。その数は、3000とも言われていますしそれ以上とも言われています。
何をもって一つの言語と定義するかで変わります。

さて、ことばというものは、言語によって大きな隔たりがあります。

日本人の我々が知っている言語間の大きな隔たりは、例えばスペイン語やフランス語などに見られる文法性(女性名詞男性名詞中性名詞等)や、その名詞が加算か不加算かで区別する名詞区分・・・そういう違いですね。
あるいは発音でしょうか?
英語ではrとlを区別しますが、どちらも日本語話者にはラ行音にしか聞こえないとか…


でも、世界を見渡すと隔たりはそれだけではないのです。


たとえば我々が使っていることばの中に「右」や「左」がありますよね。
それらの概念がない言語もあるそうです。本書で紹介されています。

本書の面白いところは、そういった事情に加えて、実験を行い証明をしている、あるいはその実験を引用しているところです。
現象の紹介にとどまらず、その現象から類推できることを実験をもって証明し、そこからことばが思考や認知にどのような影響を持つのか迫っていくのです。


たとえば、右や左がない言語ではどうやって位置関係を表すのか・・・・彼らは、東西南北の方位によって位置関係を表すらしいです。
常に彼らは、位置関係を東西南北であらわし、つまり彼らは指差した方向が、瞬時に把握できるということです。
実験では例えば、その人々を車に乗せ100km離れたところにおろします。そして、自分の家の方角をさしてもらいます。
すると驚くべきことに彼らは、ほぼ正確に自分の家を指すそうです。


多言語同士の比較と共に、もう一つの比較対象が本書では多く取り上げられています。
それは言語を持たないものです。
それは動物だったり赤ちゃんだったりします。

言語を持たない動物や、言語習得過程にいる赤ちゃん・・・そして多言語比較。それらの実験から、著者は多くのことを明らかにします。


実に面白く明快。

言語学の難しい専門用語はほとんど出てきません。専門用語出てきても、全然難しくありません。すごく面白いです。ぜひ読んでみてください。常識というものはいとも簡単に崩れます。



この世界には


色の基礎語を二つしか持たない言語もあり、
「右」「左」東西南北を持たない言語もあり、
物を持つ動作に13もの基礎語を持つ言語もあり、
オレンジキャットと言えば茶色い猫も含まれ、
青信号は緑で、
茶封筒は黄色くて、
数の区別がホイ(上がるピッチ)かホイ(さがるピッチ)あとは「たくさん」の区別しかない言語もあり、


実に様々、驚くべき(日本人にとっては)言語が存在する。
逆に

十以上もの色の基本語を持つ日本語や英語は全体の数からいえば少数派であり、
「走る」動詞一つしかないのは、英語やスペイン語から見れば不思議であり、
objectの正確な訳は加算不加算を区別しない日本語では非常に難しい・・・・


ともかく、おもしろい。







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